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~マクドナルドの思い出~

1990年代、マクドナルドクルー時代の思い出を綴らせていただきます。

初めてのチキンタツタ

 

1991年春。マクドナルドでアルバイトを始めて10ヶ月ほど経った頃。

期間限定プロモーションで「チキンタツタ」が発売されました。

価格は320円。

 

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=mWUZFehKy0I

 

今では、期間限定メニューの定番として、新年に販売されるチキンタツタですが、

初めて販売された時、僕は現役クルーでした。

今日は、第1回チキンタツタの販売時を振り返ってみます。

 

目次

 

タツタパティは醤油入り

チキンタツタの主役、タツタパティ。

ショートニングに醤油が混ざるから、という理由で、

タツタパティ専用のフライヤーハーフバットを使用。

フィレオフィッシュと同じポジションの「フライヤー」が調理を担当しました。

 

独特の香り!タツタバンズ

ちょっとデコボコしたバンズ。

このバンズは人参が練り込まれていると、当時聞いた記憶があります。

スチーマーで蒸すと独特の香りがします。

ドレスは辛子マヨネーズと千切りキャベツ。発売前のカリブレ(試食)の時には、

「何これ? めちゃ美味いやん!」と思った記憶があります。

 

パッケージの箱が面倒くさい

今では、上下にパカっと開ける紙の箱に入っていますが、

初回の販売時はとんでもない開け方の、赤い紙の箱だったんです。

いや、開け方、というより閉じ方がとんでもなかったんですけどね。

 

包装箱は、サイコロの展開図のように平べったい状態で店舗に納品されました。

折り目を山折り谷折りして、立方体にしていきます。

そして、フックのような形になっている部分を縦にひっかけ、横に引っ掛け、

というやり方です。

 

ピークの前に、箱の仕込みが必要

当然ながら、厨房で、ピークの時間帯に、

パッケージの箱を組み立てている暇はないのです。

なので当時は、休憩中やアップ(退勤)後にクルールームで、

翌日のピークに備えてせっせせっせと

タツタボックスの組み立て作業をしていました。

とにかく、このタツタボックスの組み立てが面倒くさい!

クルーの中でも大不評!

 

今や、年始の定番となったタツ

2度目の発売時には、箱のつくりが若干改善されていましたが、

それでも面倒くさかった・・・。

 

今ではもっと簡単なパッケージになりました。

最近では、新年の風物詩となったチキンタツタですが、

毎年一度は食べたくなりますね。

 

楽しかったクルーPAMの思い出。

 

マクドナルドにはクルーPAM(パム)というものがありまして。

お店から、幾らか軍資金をもらって、リクリエーションを行っていました。

例えば、バーベキュー大会、ボウリング大会など。

普段、あまり会えない深夜時間帯のお兄さん達だったり、

それこそ女子がいっぱい参加するので、

思春期の僕にとっては超ウキウキハッピーな企画なわけですね。

 

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出典:日本マクドナルド

 

深夜時間帯のお兄さんと言えば、

当時はメンテナンスクルーという人たちがいました。

まだ、店舗にSECOMのような警備システムが無かったころ、

白いつなぎを着たメンテナンスクルー(通称:メンテさん)が、

深夜の警備を兼ねながら、お店の隅々を掃除してくれます。

 

例えば、営業中になかなかできない窓ガラスのスクイージー掛け、

ダクトの清掃、床のポリッシャー清掃など。

高校生だった僕は、夜22時までしか働けなかったので、

たまにクルールームですれ違うだけ。

中には金髪ロン毛のイケイケバンドマンなんかもおりました。

警備会社のシステムが導入されると同時に、

メンテさんのお仕事もなくなってしまいました。

あぁ、時代の流れやなぁ、って思います。

 

話が川のように蛇行してしまいましたが。

 

このクルーPAMの一つに「卒店式」というものがありました。

毎年3月頃、進学や就職などでお店を辞めてしまうクルーを

送り出す会なのですね。

当時、僕は高校生だったんですけど、ちょっとおしゃれして、

スーツなんか着たりして(笑)

卒店式の前半は、ビンゴ大会などで盛り上がるんですが、

式の後半は、お世話になった(異動された)マネージャーからのメッセージとか、

卒店されるクルーのコメントだったりとか。

もう、涙なみだ、号泣なわけですよ。

 

いつかは自分も、あんなふうに見送られたい!

と思っていたものの、自分の場合は中途半端な時期に就職が決まってしまい、

卒店式には出れず、という悲しい思い出でもありました。

 

やけどの思い出。

僕がマックでアルバイトを始めた1990年当時。

 

「2000億 売るぞこの手で この店で」という全社スローガンを掲げていました。

今や全店での売上高は約5800億円ですか。

30年の間にすごい成長している企業なんだなと、あらためて実感。

 

さて今日は、トレーニーからCクルーにランクアップして間もない頃のおはなし。

 

マクドナルドの厨房でアルバイトをしていると、

必ず経験する、と言っても過言ではないのが「やけど」。

 

よく、ポテトやナゲット用のバスケットにジュッと腕が触れて、

網目模様のやけどが出来るのは、クルーあるあるです。

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写真はイメージ

出典:https://item.rakuten.co.jp/auc-yasukichi/20000200/


 とある日、グリルポジションに入っていた僕。

作業に慣れたこともあって油断していたのか、

スクレーパー(鉄板をきれいにする道具)でグリル清掃をしていたその時。

鉄板の上の油がはねて、僕の右手にべちゃ!

 

「アッツゥゥゥ!!」

 

右親指の付け根に大やけどをしてしまいました。

シンクに行ってすぐに流水で冷やしたものの・・・。

 

大きさは1センチ位だったのですが、思ったよりも状態は悪く。

塗り薬に油紙をあてて、その日からしばらく包帯を巻くことになりました(泣)

 

「これじゃ、オペレーションは出来んなぁ」と思いましたが、

Cクルーにあがりたての僕は、1日でも早く仕事を思えるために、

包帯の上からビニール袋で覆って、仕事をすることにしました。

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写真はイメージ

出典:https://www.youtube.com/watch?v=P_7CJLhKWig

 

そのやけどの跡は、30年たった今でもうっすら残っています。

 

万年Cクルーと言われた僕でも、ヤル気だけはあった日の思い出でした。

 

「万年Cクルー」と言われたエピソードはコチラ

 ↓ ↓
ayazono-muro.hatenadiary.jp

 

フランクバーガーの思い出。

 

僕がアルバイトをしていた店舗は朝7時開店。

なので、オープン(開店準備)シフトは朝6時からでした。

 

当時のブレックファーストメニュー(今で言うところの朝マック)には

フランクバーガー」という、

いわゆる見た目がホットドッグのようなメニューがありました。

通称、「フランク」。

 

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=t67tAHXkEmo

 

スチームした楕円形のバンズに、ボイルしたソーセージを挟み、

ケチャップ、マスタード、レリッシュ(ピクルスを細かく刻んだもの)、

オニオンでドレスしていきます。

チーズを挟めば、「チーズフランクバーガー」となるわけです。

 

このフランクに挟むチーズ、クォーターチーズと呼んでおりました。

チーズバーガー用のチーズを半分にカットして、さらにもう半分にカットする。

四分の一の大きさのチーズを、縦ならべにするわけです。

 

このフランクバーガーのドレス。

ソーセージの上からケチャップとマスタードをぬり、

レリッシュは、ケチャップの上に専用の道具を使って横長にドレス。

オニオンは、マスタードの上に指先を使ってドレス。

というように、オペレーションに少々手間がかかります。

 

そんな時、ちょっとした小ワザがありまして。

右手にケチャップの容器、左手にマスタードの容器を持ち、

手をクロスさせて、ケチャップとマスタードを上下同時にドレス!!

 

まぁ、そんなに大してスピードアップするわけではないのですが、

当時は、ちょっとイキったクルーがいたものです(自分含め:笑)

 

一時は、ソーセージを2本挟む「ダブルフランクバーガー」や

「ダブルチーズフランクバーガー」という商品もあり、

オペレーションはかなりの苦戦。

 

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=t67tAHXkEmo

 

救いだったのは、「ダブル」はあまり売れる商品ではなかった、

という事ですかね・・・。良くも悪くも。

 

懐かしの、スーパーマック。

 

1990年の冬間近。

 

クリスマスシーズンに合わせた

期間限定(プロモーション)メニューが始まりました。

この期間限定商品のことを、4th(フォース)メニューと呼んでおりましたが、

1990年冬の4thメニューは「スーパーマック」でした。

 

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=FA-Ygk_VF9E



 目次

 

クルーから“わらじ”と呼ばれたミート

これまでの円形ではなく、長細い楕円系のハンバーガー。

厚みのあるジューシーミートにオーロラソース

ポテトサラダのようなペーストにスライスオニオンが入って、

価格はなんと税抜440円。

当時のビッグマックが380円ですから、結構割高なハンバーガーですね。

 

レギュラーバーガーに比べてミートがでかい!

円形ではなく楕円形、しかも分厚い。

そんなミートを僕らは“わらじ”と呼んでいました(笑)

 

ポテトペーストのドレスに手こずる

ポテトペーストは、袋に入っているものを、

生クリームの搾りのように、指先を使って薄く延ばしてドレスする。

これまでになかったパターンですが、

ピーク時は、このポテトペーストのドレスに手こずりました。

 

カリブレーションの感想

我々クルーは、新商品発売の前に、

オペレーション練習のために一人1個を試作します。

そしてどのような味かを確認するためカリブレーション

(味見の意。通称:カリブレ)します。

 

ミートが肉厚なので、ジューシーで食べ応えあり。

初めて食べたときは「こりゃ美味い!」とちょっぴり感激。

当時の時給560円の僕にはかなり高価なハンバーガーですから、

なかなか買って食べることは出来なかったのですが、

美味しかったので頑張って何度か買って食べました。

 

同時販売、マックボウズ

スーパーマックと同時発売されたのが「マックボウズ」。

カスタードクリームが入ったスポンジケーキのようなものも発売されました。

まぁ、デザート的な位置づけですね。

 

復活に期待

そういえば、のちに値下げして再販したと記憶していますが、

今はバーガー類の単価も上がってきて、

440円位でも普通にプロモーションメニューで登場する時代となりましたので、

スーパーマック、また復活しないかなぁと願う今日この頃でした。

 

初めての接客。

 

今日は『マクドナルド』の思い出話。

 

プチピークの厨房を僕一人で回した(←まわすっていう表現、

よく使いました:笑)

ことから、Bクルーにランクアップした1990年の秋ごろ。

 

ある日のこと、「綾園くん、エプロン外して」とマネージャーからの指示。

僕はオペレーション(厨房)クルーだったので、

仕事中は常にエプロンをつけているのですが、そのエプロンを外す、

という事は、製造以外の業務をするとき。例えば掃除とか。

なので「はーい。モップ掛けですかぁ?」と軽い気持ちで聞いたのですが、

その返答は180度違うものでした。「ドライブスルーに入って」と。

ど、ドライブスル ー??

 

マネージャーからは「O/T(オーダーテーカー。オーダーを取る係)やろっか」との指示。

「いやいや、やったことないですよ!!」と必死で抵抗するも、

「いけるいける」と軽い反応。

仕方なくエプロンを外して、おずおずとドライブスルーエリアへ。

 

今では、ドライブスルー業務はWAS(ワイヤレスオーディオシステム)を使うのですが、

当時は有線マイク。

スルーエリアに固定マイクがあり、そのマイクの前で、

スピーカーから流れてくるお客様の声を聞きながらオーダーを取る、

という仕組みだったんです。

 

「1 回見ててね」と、先輩クルーの O/T を見学。

「じゃあ、次に車来たら OT やってね」とかなりの無茶ぶり!

しばらくすると「ピンポーン ピンポーン」と

スルーレーンに車が入ったことを知らせるチャイムが!

緊張感はピークに!!

 

  僕「いらっしゃいませ!マイクに向かってご注文をどうぞ!」

  客「ナゲット1つ」

  僕「ナゲットは5 個入りでよろしいでしょうか?」

   「お付けするおソースはバーベキューとマスタードがございますが?」

 

おおーっ、初めての接客!もうドキドキ!

 

身体が勝手に反応して「ございますが」などという言葉が出てくるところは自分でも驚き。

当時のドライブスルーは有線マイクのため、

常にスピーカーからお客様の声が流れていたんです。

実は、知らぬ間にそれを聞いて、何となく覚えていたんでしょうね。

 

接客対応の次は、POS(レジの機械)操作に慣れること。

どこに何のボタンがあるのか、これを覚えるのにも一苦労。

でも若いっていいですよね。覚えるのが早い(笑)

 

その日を境に、「綾園くん、スルー入ろっか」と、

ドライブスルー業務も担当することになりました。

O/T、キャッシャー(ドライブスルーの窓口担当)の仕事を覚え、

カウンターでの接客もこなすようになりました。

 

まさか、自分が接客をする日が来るとは夢にも思わず。

でも、この接客の楽しさを知って、この先の僕の人生は大きく変わるのでした。

 

初めてのオープンシフト。

 

僕がアルバイトをしていた店舗は、朝7時の開店でした。

 

オープン(開店準備)シフトは朝6時イン。

厨房機器のガスの元栓を空けて、機器のスイッチをオン。

そして、エクイップメントや資材の準備。

 

カウンターは、ドリンクやアイスビン(氷をストックするところ)の準備。

当時のオレンジジュースやアイスコーヒーは、希釈するのではなく、

原液をドリンクディスペンサーのタンクに入れて、冷却&攪拌をするというもの。

オレンジジュースなんて、でっかい缶に入ったものが納品されていたんです。

 

アルバイトを始めて数ヵ月後。

僕も初めて、オープンを担当することになりました。

でも、作業のやり方が分からず、あたふた(汗)

 

当時、めちゃくちゃ怖い店長がおりまして。顔も性格も。

その店長から「おい綾園、アイス補充せい!」という指示。

「あ、アイス? 何それ?」とつぶやく僕。

当時は「アイスクリーム」というメニューが無かったものですから、

「アイス=ドリンク用の氷」とは想像がつかず。

おどおどしていると、「カウンターの氷や! 早よせい!!」と店長が激怒。

 

優しい先輩が、「製氷機の氷をステンレスのボールに入れて・・・」と

教えてくれたので、大急ぎで、アイスの補充作業。

 

しかし、やってしまった・・・。

 

アイスビンに氷を入れようとしたところ、バラバラバラ・・・と

床にこぼしてしまいました(涙)

 

その時・・・

「モップする手間増えるやろ!ぼんくらぁ!!」と店長激怒。

「スミマセン!!」と平謝りの僕。

 

昔のマックって、こんな怖いマネージャー、いっぱいいましたよね(笑)

 

7時の開店後は、ブレックファーストメニューのトレーニング。

(今で言う、朝マックですね)

朝の時間帯は、厨房のにおいも独特で、「朝」って感じがしました。

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https://www.youtube.com/watch?v=ZLub9Twyk-U

 

その日から、土日はオープンシフトでインして、

ブレックファーストのトレーニングを開始。

ハッシュポテトはわりと簡単ですが、

エッグクッカーでエッグを焼く工程は、少し慣れが必要。

エッグマックマフィン、ソーセージマフィン、ソーセージエッグマフィンを習得。

当時はソーセージブレックファーストなんて言うメニューもありまして。

最終系はホットケーキの焼成を習得。

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写真は、ソーセージブレックファースト

 

そして、10時のチェンジオーバー。

チェンジオーバーとは、ブレックファーストメニューから

レギュラーメニューに切り替えること。

午前10時には、レギュラーメニューが販売できる体制にしないといけません。

そのため、10時少し前から、ブレックメニューのストックを作り始めて、

ブレックメニューの製造を止めます。

そして、グリルの設定温度を変えて、レギュラーメニューを作り始めます。

 

チェンジオーバー後は、ブレックファーストのエクイップメントの片づけ。

 

マックの朝は忙しく、時間が経つのが早いと感じる日々でした。

 

余談ですが、このチェンジオーバーがスムーズにいくと、

その日の昼ピークもスムーズにまわせるという

ジンクスがありました。